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「 先生は冷たいですね 」とクライエントに言われて、面白くないと反発を感じたりするとダメ、心の中でそう反応しただけでもダメなんだね。 「 冷たいですね 」と言われることが最良の関係なのです。それは「 冷たい 」と言えるくらい暖かであり、「 冷たいですね 」と言えないくらい密着していない、過剰にやり過ぎていない、つまり程良い関係なのです。 文句を言えるというのは信頼なんです。だから、文句をいう必要がないくらいというのは援助のし過ぎ。反対に、文句も言えないような関係は信頼関係とは言えない。文句を言われているときは、「 ああ今は、ほど良い関係にあるのかもしれない 」と思うようにして下さい。 そういうことも専門家として、心に余裕ができるコツだと思います。 神田橋條治(精神科医・心理療法家)
一般に、ベテランになればなるほど、見立ての説明は自信なげです。自分に自信があるから、正直に振る舞えるのです。格好よい見立てをするのは、おおむね未熟な治療者の、自他へのこけおどしです。 神田橋條治
私は寝椅子に横になり、フロイトは昨日と同じように私の頭の方に腰掛けた。 「今日がはじめてだと思って、自由に話してください。昨日の続きだとは思わないで」とフロイトがいった。 (中略) そのあと、私はこれまでの生活歴と教育歴について話しはじめた。するとフロイトは話をさえぎった。 「その話は、あらかじめ準備してこられたものですね」 「ええ」と私はこたえた。 「ここで話すことは、あらかじめ準備してくるのではなく、その場で心に浮かんでくることを自由に話すのでなければいけません。それが古典的なやり方です」とフロイトはいった。 私がしばらくの間だまり込んでいると、フロイトは助け舟を出してくれた。 「どうぞ続けてください。準備してきたものでも構いませんから」 S・ブラント
精神療法の主な仕事は、クライエントのさまざまな体験を、できるだけありのままに終始理解しようとさまざまに工夫することであり、そのためには、カウンセラーの心は、あたかも容積の大きな空の袋のようであり、先入見にとらわれない、柔軟性に富むものでなければならない。 下坂幸三(精神科医・心理療法家)
セラピーにとって最高の治療学派はひとつしかありません。それは(クライエントとの)関係のなかで自分のあり方が、どんな影響を与えているかを批評眼を持って検討し続けながら、あなた自身があなた自身のために、発展させたものなのです。 カール・ロジャース
自信ありげな医師の方が自己価値感情が低いことはありふれた現象である。 中井久夫(精神科医)
心理療法家は、自分自身の治療を終えたところまではクライエントを援助できます。 いいかえれば、自分自身の治療を終えていない間は、治療者は、クライエントの治療ではなく、自分自身の治療を延々と続けているということです。 光本和憲(心理療法家)
情報は必要なとき、必要な分だけ採るということが基本姿勢ということになる。そうなると、生育歴を総ざらいするような、いわゆるインテイク面接は、森に分け入って、やたらめったら石を投げたり、大声をあげたりするといった情報収集であるため、治療効果を低下、もしくわ悪化させかねない、ということである。 現在、そういう情報収集法が、多くの相談・治療機関で常識となっており、そうした場で、優秀な治療者として育つのは、かなり難しいと言わなければならないであろう。 光本和憲
巷間流布しているインテイク面接などというものは、精神療法がまだ始まっていないつもりでおこなわれているとしたら、治療にとり有害無益である。ましてや、インテイカーと治療者とが別人であるなど、もってのほかである。救急医療におけるタライ回しと同じ効果が加わる。 いわゆるインテイクで聴取される資料は、主訴について二人で考えていく流れのなかで、必要になったときどきに問うて語ってもらうというのが、精神療法における定石である。 神田橋條治
かつて、女子中学生の治療を引き受けたことがあった。彼女はある病院を受診して分裂病と診断され、「治らない」とまで宣告されていた。短時間の診察ですまされ、家族が悲しんでいる様子を見た心理士が、なんとかして診てほしいと依頼してきた。 「そんなひどい医者がいるのか」と憤怒に駆られてのことだった。彼女もいまでは30歳半ばになっているが、定年退職した年金生活者の両親と同居し、高校で同級だった婚約者と週末のデートを楽しみ、しばしば実家を訪れる二人の妹の幼児の世話をしている。 星野 弘(精神科医)
高校時代の記憶はすこぶる希薄である。かりに精神科を受診していたら分裂病と診断され、治療の対象になったに違いない。受診しなくて(させられなくて)ラッキーだった。精神病院に入院したまま、現在まで病棟の片隅でうずくまっていたかもしれない。こうしていられるのは、運がよかっただけである。 星野 弘
精神療法におげる「気づき」が本物であるときには、「前々から知っていた点を改めて知った」という感触を伴うことが多く、そのような特徴を持つとき、その気づきは必ず治療の力を発揮する。 神田橋條治
彼(ウィニコット)が解釈をすることはめったにありませんでした。 するとしても、すでにわたしがポイントに達していて、事柄を意識化できるようになっている時だけでした。ですから、彼の解釈は、聞いた瞬間、その通りと感じられるものでした。 けど、彼は「きっとこうです」といった態度はとらず、 「こうじゃないかと思うけど ・ ・ ・」とか、 「・ ・ ・ なのかしら?」とか、 「・ ・ ・ みたいに見えるね」とか、言うのでした。 彼の言っていることを、わたしに味見したり触ってみたりさせ、それを受け入れるか拒否するか、の自由がわたしに与えられている雰囲気です。 マーガレット・リトル(神田橋條治訳)
自分と患者とが作っている複雑系の中で、治療が進んでいるのだということを忘れて、自分は客観的な観察者であると思った瞬間に治療はうまくいきません。 実際の治療は、治療者と患者とが織りなす複雑系の中で、原因が結果になり、結果が原因になり、回っているということです。 神田橋條治
患者が「あの先生は自分を理解している」と思っているとき、当の医師が言語的定式をもってはさっぱり理解していないのにと訝ることが少なくない。患者の理解とは、言語以前である。誤解されなければ、ほとんど生き物と生き物との間にも起こる馴染み、共感、呼吸合わせのようなものが理解の基礎であり根幹である。 治療の際に「俺が治療している」という感じがある時はよくない。自分がどこへ行ったのかわからないような感じのときがよい。 中井久夫
人柄っていうのはいい言葉ですよ。パーソナリティーなんていうよりいい。「どういう人柄であるか」っていうことに焦点を当てつづけるということは、非常に大切です。でも私も、それをはっきり意識するのは遅かったですね。 中井久夫
一時期流行した「治療者の中立性」という概念への浅薄な理解が、多くの弊害を生んだ。静かで粘りある価値観・理念をもつ人だけが「中立性」という言葉の真の意味を現実行動としておこなえるのだ。 神田橋條治
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