神経症とカウンセリング
| はじめに |
ここでは神経症の一般的な解説ではなく
神経症でのカウンセリングをお考えの方に向けて、お伝えしています。
少し長くなりますが
お読みいただけると幸いです。
ノイローゼと神経症
「神経症」と呼ばれている状態があります。
昔は「ノイローゼ」という言い方が
よくされていました。
たとえば
夏目漱石が倫敦でノイローゼになっている
・・・というように。
中井久夫 精神科医
一般に神経症と言うよりもノイローゼのほうが通りがよいであろう。
しかしこのドイツ語は、もともと神経症を指す言葉だったが、日本では意味がぼやけてしまった。
| 人の数だけ存在する |
神経症には様々な症状や状態があり
「人の数だけ症状がある」とも云われます。
精神的・心理的なものとして現れるもの。
身体症状として体に現れるもの。
行動(言動)として出てくるもの。
身体・肉体感覚の違和感。
・・・そうした様々な状態が見られます。
しかし最近では「神経症」という言葉は
一般の方(患者さん)たちには
余り使われなくなっています。
使われなくなったのは
神経症というものがなくなったから、
ではありません。
神田橋條治 精神科医
神経症と呼ばれる分野は、あまりにいろいろな症状があり、
「最近の出来事や抱えている悩み」が原因となっているもの。「心のクセ」が強く関わっているもの。「生まれつきの体質や気質」が要因として大きなものなど、さまざまです。
ですから、神経症という大雑把な呼び名を廃止して、症状ごとのたくさんの診断名に分けた方がよい、と考える傾向になっています。
そういう訳で、
病名や診断名に細かくこだわっていても
余り意味がありません。
ちなみに
1980年代くらい迄は
道に落ちている犬の糞を踏んでしまった事をきっかけに、外を歩けなくなってしまう状態・症状の人が、時々いらっしゃいました。
(恐怖症あるいは不安神経症)
病院やクリニックに通院し
服薬とカウンセリングを受けていたけど
そこが合わないなどして
森のこかげにお越しの患者さんなども
いらっしゃいます。
「病院でのカウンセリングでは、症状のことばっかりだったけど、ここだと、いろいろな話ができて、それをじっくり聴いてもらえるので助かる」
そうした言葉をお聞きすることがあります。
臨床で大切なこと
カウンセリングも
「臨床」と云われる行為に属しています。
小倉 清 児童精神科医
症状の羅列をもってして、その人を理解するなどはありえない。
症状には、それなりの意味があり、歴史があり、必然性があってあらわれてきているのであろう。
そういった背景を無視することは、臨床家のなすべきことではないのである。
カウンセリングで
ご一緒に考えてゆく時に大切と思うことは
「症状を取り除くこと」を
直接の目的・目標にしたり。
「症状がなくなること」にしか
両者(カウンセラーとご相談者)の目が
向かずにいると
深い森の中に入り込んで
道を踏み迷うような事になりかねない
・・・ということがあります。
| 症状の意味ということ |
神経症に限らないことですが
〝症状〟とは
何か大切な意味があって現れ出ている・・・
ものかも知れない。
臨床や治療には
そうした大切な考え方があります。
下坂幸三 精神科医・心理療法家
症状の意味を大切にするということは、治療的方法の違いを越えて、これまでは臨床の場での基本的な姿勢でした。
しかし薬物治療が全盛になった今日、精神科医療の世界では、このことが失われつつあることが心配です。
井原 裕 精神科医
今日の精神医学と精神科医療は適した臨床を提供できていないように思います。
患者さんは多様であり、人それぞれに異なっています。そのためには精神療法的(カウンセリングと意味は同じ。医者は精神療法という言葉を好む) な視点が必要なのに、残念なことに精神科医たちの多くは、患者を薬物治療の対象としか見ていないと思います。
「こんな症状に、自分にとって意味があるなんて、少しも思えない」
そう云われることがあります。
おっしゃる通りかも知れません。
ただ、この場合の意味とは
「雨が降りそうなので傘を持っている」
・・・というような
整合的で目に見えて分かりやすいもの
・・・ではないところに
その深い特徴がありそうです。
身体に現れる症状
上でも記したように
神経症として現れる症状には
さまざまなものがありますが
身体の〝機能障害〟としての神経症も
よく知られています。
機能障害というのは
肉体や体には疾患や病変は
確認できないにもかかわらず
何故か、その動きや働きの面で
失調がみられる状態です。
身体生理的に言い換えると
随意筋による不随意運動として
表される症状のことです。
ちなみに、これが不随意筋に現れると
自律神経失調症と呼ばれることになります。
| ジストニア |
たとえば、役者さんの中には
セリフを喋っている時に
口が思うように動かなくなる症状に
苦しむ方がいらっしゃいます。
ジストニアと呼ばれます。
カウンセリングにもお越しになります。
| 書痙(しょけい) |
昔から知られている症状に
「書痙(しょけい)」があります。
字を書こうとすると
腕や手がこわばり震えて
字を書けなくなる症状です。
「書痙(しょけい)」と似ていますが
音楽大学の在学生だとか
音楽教室の先生の中には
楽器演奏にかかわる指や手が
思うように動かなくなる
という症状に悩むケースがあります。
手や指に身体上の異常は見られません。
スポーツ選手に見られるイップスも
このカテゴリーに入ります。
「神経性頻尿」といって、
わずかな量の尿でも耐え難い尿意を感じる。
こうした頻尿感が
精神的な要因によって起こることを
「神経性頻尿」と云います。
神経性頻尿は
一時的なストレス症状としても
よく見られます。
膀胱は、心臓や消化器と同じように情動の影響を受けやすく,その結果として排尿の異常が起こり得る。
たとえば、試験の前には、排尿後であっても、わずかな尿量で強い尿意を感じることは、誰しも経験することであろう。
精神的な緊張が、膀胱刺激を容易に変動させる。
神経性頻尿の心身医学的研究
〝身体の機能障害〟としての神経症を
「転換型」と呼んできました。
ちなみに、
著名な精神科医の中井氏が
次のような皮肉を投げかけています。
今は昔のような転換型の神経症が見られなくなった、とも言いますが、この病名が避けられ、心身症と命名する傾向があります。
その方が治療者にとって安心できるからかも知れません。
中井久夫 精神科医
| 田辺靖雄さんのケース |
歌手の田辺靖男さんのケースも、
こうした病態だったかも知れません。
ある朝、仕事に行くために玄関を出て、歩こうとしたとき、両足の付け根に激しい痛みが走って、そのまま一歩も歩けなくなってしまった。足を踏み出そうとすると激しい痛みが襲ってくる。
すぐに病院へ連れていってもらい、その日から車イス生活。
通院しながら、病院でありとあらゆる検査をしたけれど、どこにも異常が見当たらない。「原因不明」と告げられた。
そこで、すぐに入院するよう云われた時、奥さんで歌手の九重佑三子さんは、「原因が分からず、治療法もないというなら、入院させる意味がありません」と云って、自宅に連れて帰って来たといいます。
その日から、自宅で夫婦二人三脚で養生をしていく中で、また元気に歩けるようになり、1年後に仕事に復帰したということです。
玄関から出ようとして歩けなくなる暫く前から、体調の変調があったと云います。
たとえば、あくびが出て仕方がない。とにかくあくびが出る。
それから歌詞が覚えられなくなっていた。ぜんぜん歌詞が頭に入ってこなくて、ステージに出てもうまく歌えなくなっていたけど、忙しかったので、とにかく仕事をこなし続けていた、と云います。
もしかすると、発症のしばらく前から
疲労とストレスによって、なんらかの葛藤状態にいらしたのかも知れません。
奥さんの九重佑三子さんは、
「絶対に治る、良くなると信じていた」
と語ります。
もしかすると奥さんは、
ご主人を見ていて
何かを感じていたのでしょうか。
ただし、一見神経症ではないかと
見まかうような機能障害が
中枢神経の疾患による場合もあるため、
まず検査が必要です。
気持ちを整理しながら
治りたいと思っている筈なのに(症状が)なくなってしまったり、良くなってしまうのが、とっても不安なんです。
ここで良くなってしまったり解決してしまったら、いま迄の時間がすべてムダだったようで、虚しくなりそうです。
落着いてきて、(症状が)気にならなくなってきたら、自分の中がカラッポになってしまったような、ひとりぼっちで暗闇に落ち込んでしまったような、そんな気持ちになってしまいました。
もうこれ以上良くなりたくない。
・・・これらの言葉は
ご相談者の方たちが
自ら語ってくださったものです。
意外に思われるでしょうか?
しかし人の心に添うていけば
けっして意外な言葉ではありません。
そして、カウンセリングを続けてゆく中で
ご自分の中の別の気持ちと出会い
それを少しずつ
消化していった方のほうが
むしろ、結果が良いように思います。
| 寄り道をしながら |
神経症に限らず
回復に一直線は禁物です。
寄り道をしながら、時々休憩して
道端の草花を眺めながら
歩いてゆきます。
遠回りに思われるでしょうか。
でも、遠回りに見えて
結局は一番の近道、ということは
案外多いかもしれません。
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